聖徳太子開山の祈願寺     

真言宗 豊山派 二十三夜寺

寺の縁起

史料を基に記します(写真をクリックすると拡大写真が見られます)









   「その昔、聖徳太子がこの地を巡訪された際、諏訪明神から夢の中でお告げを受けた。
   ここは仏法隆盛の地であると奇異な思いを感じた太子は、自ら薬師如来の像を彫刻して
   草庵に安置、医王善逝の寺とした。これが今の奥の院である。
   聖武天皇の時代には行基菩薩が巡訪され、勢至菩薩を安置し、師慶山観音院と名付けられた。
   弘仁元年(810年)に弘法大師が訪れ、この地が往古の霊場との念から坊舎仏閣を建立、
   大師が自ら馬鳴菩薩を彫刻し、これを安置した。
   また、境内地に井戸を掘った際に不思議な球体の石を得た。これを「月輪石」と名付け、
   火防の象徴として祈念した。
   万治三年(1,660年)に本堂を再建、宝永元年(1,704年)に仁王門、宝永五年には庭園を築き、
   正徳三年(1,713年)に奥の院薬師堂を再建し、現在に至る。」

   (「當山縁起之巻」より抜粋)