聖徳太子開山の祈願寺     

真言宗 豊山派 二十三夜寺

住職今月のお話



「月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人なり。」

令和8年も折り返しの時を迎え七月(文月)となりました。

今年は台風の到来が早く梅雨前線とも重なりあちこちで被害が生じています。

当山一同、皆々様の日々の平安無事を御祈り申し上げております。

ところで先月はあまりにも身勝手で命を軽んじる事件に対しての判決が下されました。

しかしながら、不条理な結末を迎えなければならなかった被害者やご家族様には

心からお悔やみを申し上げるしだいでございます。

被害者も加害者もこの世に生を受けた無垢な時に誰がこのような結末を予想したでしょうか。

ひじょうに残念でなりません。

さて、今月も先月に引き続きまして弘法大師(空海上人)のお言葉をお話ししたいと思います。

お大師様の代表的なお言葉に『仏法は遥かにあらず、心中にして即ち近し』

と言う教えがあります。

仏法とは仏の教えを指し仏の教えとは「何ぞや」

と問うた時に何か難しそうでと考え込んでしまいがちですが、

一言で言ってしまえば私たちが生きて行く上の人生の道しるべであります。

道しるべに従い進めば道に迷う事はありませんが

道しるべに従わず近道をしようとしたり冒険をしてしまったが故に

真っ暗な洞窟に迷い込んだりする訳です。

そこで仏の教えとは遥か遠くにあるのでは無く

本当は意外と近い自分の心の中に存在するとお大師様は諭しております。

私たち人間の心の奥深くある潜在意識には欲や不満、そして怒り(三毒?貪・瞋・痴)も無く、

誰も皆が持って生まれた清らかな智慧と慈悲だけが存在しているのです。

そう考えるとお大師様が諭す通り目から鱗が落ちるが如く「なるほど!」となりませんか?

智慧と慈悲の根本たる仏様が私達の心の中に存在していると考えれば

人は誰でも仏様になれる種を生まれながらに授かっていると言う事になります。

即ちこの仏の種をどう植えてどう育てたならば清らかな美しい花を咲かせる事が出来るかは

『道しるべ』となる肥料を最大限に無駄なく使い育てる事が

私たち自身に掛かっていると言えるのでは無いでしょうか。